2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧
笑ってはいけない状況で思わず噴き出して笑ってしまうこと。あきれることだと誤解している人が多い。この「失」は「失う」ことではなく、本来は中に抑え込んでおくべきものが思わず外に出るという意味。「失言」や「失火」と同じ使い方である。
日本語に関する本を読んで正しい表現が「熱にうかされる」ということを知った。今まで「熱にうなされる」と思っていた。「うかされる」ということば、ほとんど使ったことがない。「うなされる」は恐ろしい夢などを見て苦しそうな声をあげることである。
今でもどちらなのか迷う。「体調」を崩す?壊す?「体調」はからだの調子のことである。からだは壊せても「調子」を壊すとはいわない。したがって、「体調を崩す」となる。一方、からだをときたら「壊す」と続けるように覚えよう。
気にする人は殆どいないと思われるが、「うろ覚え、うる覚え、どっちだった?」と私はよく迷う日本語。正しくは「うろ覚え」。「うろ」「うる」のどちらも同じように聞こえるため、間違っていても周りが気づきにくい。活字にする場合は気をつけよう。
「間が持てない」「間が持たない」今でもどちらだったかよく迷う日本語である。正しくは、「間が持てない」。することや話題がなくなって時間を持て余すという意味。「間が持たない」という表現は、辞書に載っていないので、要注意の言葉である。
「続柄」は多くの人が「ぞくがら」と読んでいる。私もその一人だ。正しくは「つづきがら」である。しかし、多くの人が読んでいるので「ぞくがら」も間違いではないとされるようになった。(慣用読み)辞書によっては『「ぞくがら」とは「つづきがら」の俗な…
「奇」という字から「奇妙」や「奇抜」を連想し、「妙なこと」「風変り」の意味でこれを用いるのは間違いである。「奇特」とは、めったにないほど立派で感心な人や行いのことで、本来は褒め言葉だ。しかし、「奇特な人」と言われても、どこか素直に喜べない…
「年賀状」とは新年を祝う挨拶状のこと。日本郵便から発売される年賀状のはがきが「年賀はがき」で、年賀はがきは差し出されると呼び名が「年賀状」に変わる。今までこの違いを全く気にせず使っていた。
意味を知らずに使うと、相手を不愉快にさせてしまう。「馬子」とは、馬を引いて人や荷物を運ぶことを職業にしていた人のこと。いつもは粗末な身なりを着ている人でも、立派な衣装を身に着ければそれなりに見れるということわざだ。「孫」ではなく、またほめ…
漢字で書くことはあまりないが、どっちの漢字だったか迷う日本語の一つである。「おじ」と「おば」には、「伯父・叔父」、「伯母・叔母」と、それぞれ二通りの表記がある。自分の父母を基準に、その兄姉なら「伯父・伯母」、弟妹なら「叔父、叔母」と書く。…
最近はあまり「一姫二太郎」という言葉を使う人は見かけなくなったが、先日、母が勘違いして使っていたので紹介したい。「一姫二太郎」は女の子一人、男の子二人が良いという意味ではなく、子どもは最初は女の子、二人目は男の子が育てやすいという意味であ…
「小春日和」とは「晩秋から初冬(11月~12月上旬)の穏やかなで暖かい天気」のことである。この時期にたまに暖かい日が訪れ、「まるで春のようだ」と感じることから、「小さな春=小春」と呼ぶようになったらしい。ちなみに、「日和」とは「晴天」の意味で…
「雨模様(あめもよう・あまもよう)」この日本語も最近まで間違って使っていた。「雨模様」とは「小雨が降ったりやんだりしている様子」ではなく、空がどんよりと曇り、今にも「雨が降りだしそうな様子」のことをいう。
最近ではないが、本当に「そうだったの!」と思った日本語を紹介したい。それは、「完璧」である。それまで、「完壁」と書いていた。「璧」という字があることさえ知らなかった。「璧」は「たま」の意。「傷のない玉」が転じて、全く欠点がないことをいう。
私は「日本語」に興味があり、「日本語」がタイトルの中にある本を読むことが好きでよく「そうだったのか」と思える日本語に出くわすことがある。「書き入れ時」という言葉もその一つで今まで、「搔き集める」ということで「掻き入れ時」と思っていた。商品…