再発見!そうだったの その日本語68「場数を踏む」

「場数」というのは、経験をかさねた場所の
数のことで、多くの場数を踏むことで経験を
かさね、場慣れしていくことをいう。
意味が似た言葉の「経験を積む」と混同して
「場数を積む」と言う人を見かけたことが
あったが、正しくは「場数を踏む」である。

再発見!そうだったの その日本語67「笑みがこぼれる」

「笑みがこぼれる」とは、ほほ笑みが顔いっぱいに
あふれるという意味で、うれしそうな様子を、
顔から笑みがこぼれると、例えた表現である。
「笑顔がこぼれる」と間違った表現を使うことが
あるが、そもそも「顔」はこぼれるものでは
ないことを思い出そう。

再発見!そうだったの その日本語66「浮き足立つ」

「浮き足立つ」は、不安や恐れから、そわそわして
落ち着かなくなるという意味。しかし、うれしくて
浮き浮きする様子から、うれしくて落ち着かない
時にも使っている人がいるが間違いである。
「浮き足立つ」のは、不安や恐れからであることを
覚えておこう。

再発見!そうだったの その日本語65「したたかな」

「したたかな人」といえば、「ずるい人」という
イメージがある。しかし、「したたかな」は
「強かな」と書き、本来は手抜かりなく確かだ、
あるいは屈強だという意味。何をしでかすか
わからない手ごわい相手への悪口としても
使われるようになった。

再発見!そうだったの その日本語64「二の舞を演じる」

「二の舞」とは雅楽の演目の一つ「安摩」という
舞のあと、それを真似た別の二人がわざと滑稽に
演じる舞のこと。それが転じて、同じことをしたり
失敗を繰り返すという意味で使われるようになった。
「二の足を踏む」と混同した「二の舞を踏む」は
誤用となる。

再発見!そうだったの その日本語63「団塊世代」

今は読み間違うことはないが、以前「団塊」を
「だんこん」と読んでいた。戦後の昭和22年から
24年生まれのベビーブーム世代を指す言葉である。
うっかり女性が間違えて「だんこん」と口にした時、
間違いを正してよいのか迷ってしまいそうである。

再発見!そうだったの その日本語62「方を付ける」

物事の決着をつける、始末をつけるという
意味の「カタを付ける」は、よく似た言葉の
「片付ける」から「片」だと思っていた。
しかし、正確には「方」である。もともと
収まるべき場所や向きに方角や方向を
合わせることから「方を付ける」になった。